売上アップの秘訣は新一万円札にあり? 渋沢栄一の理念が示すものとは | 中小企業サイバーセキュリティフォローアップ事業

2024.07.30

売上アップの秘訣は新一万円札にあり? 渋沢栄一の理念が示すものとは

どうしたら売上を伸ばすことができるのか。
それは経営者の永遠のテーマかもしれません。

中小企業経営者の課題解決をサポートする「J-Net21」には、「売上アップ取り組み事例集」が掲載されています。
その事例で印象的なのが、顧客へのホスピタリティや従業員を大切にする取り組みです。

そこで思い浮かぶのが、新一万円札の「顔」となった渋沢栄一。「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢は、道徳と経済は表裏一体だと説き、公益を忘れ私利私欲に走る実業家を強く戒めました。

新一万円札は今、私たちにどのようなメッセージを伝えようとしているのでしょうか。

「売上アップの取り組み事例」と渋沢栄一の理念をあわせてみていきましょう。

図1 新一万円札
出所)国立印刷局「新しい日本銀行券特設サイト>2024年7月3日お札が変わりました」
https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/index.html

売上アップの取り組み事例

経済産業省が管轄する、独立行政法人中小企業基盤整備機構のウェブサイト「J-Net21」には、「売上アップ取り組み事例集」が公表されています。

その中から、都内商店街に立地する小さなスーパーの成功事例をご紹介します。

会社を支えるパート社員の処遇改革

小規模なスーパーは、品揃えや駐車場などのサービスでは大手スーパーにかないません。
では、大型スーパーと勝負できるのは?
それはホスピタリティに溢れたフレンドリーなサービスです。

このスーパーでは、そのために生鮮食品の鮮度アップなどに力を入れるようになりましたが、そのことで社員の負担が大きくなり、パートタイマー社員(以下、「パート」という)の担当する分野が拡がっていきました。

ところが、パートがどのような業務を担当するか明示されておらず、パートの評価制度もありませんでした。
賃金も入店時のままで、定期的な昇給もなし。パートの報酬や処遇は仕事の質や能力に関係なく、どんな仕事をどんなふうにやっても、時給は同じという状況です。

勤務する店舗や会社のためにどれほどがんばって働いても、パートはそのことを評価してもらうことも、その評価が賃金に反映されることもない―おそらく多くの会社に同じような状況があるのではないでしょうか。

しかし、それでは公平とはいえません。
会社が求める理想的なパートとはどんな従業員なのか。
パートに求められる能力は何か。
そして、能力や働き方に応じた賃金や社員登用制度はどのようなものか。
パートを尊重し、気持ちよく働いてもらうためには、それらを明確にしなければなりません。

競合店対策のためには社員の7割を占めるパートの意識改革や能力向上が必須だ、と判断した経営陣は、以下のような3つの仕組みを作ることにしました。

  • パートの職務内容と難易度の具体的な明示
  • 職務と連動した賃金制度
  • 適切な評価制度

職務等級基準書

仕組み作りの第一歩は、職務と職務のグレードを明らかにすることでした。
いわゆる「職務等級基準書」の策定です。

そこで、部門長と店長、経験の長いパートへのヒアリングや担当者へのアンケート調査を実施して、パートの職務の洗い出しを行い、職務内容を出来るだけ具体的に記述しました。

その課程で、部門長や店長から、職務によっては「パートでは難しいのではないか」という声も挙がりましたが、少しがんばって難しい職務にチャレンジしてもらえば、パートの時給を上げることができます。
そこで、OJTをしっかり行うことを条件に、懐疑的な部門長などにも納得してもらいました。

職務は難易度に応じてA、B、Cの3段階に分類し、その達成度(評価)もI、II、IIIの3段階にして、年功的要素は極力排除しました。経験によって達成度が高まる人ばかりではないことが、過去の経験からわかっていたからです。

表1 パート社員の職務と評価基準

出所)独立行政法人中小企業基盤整備機構のJ-Net21
「売上アップ取り組み事例集>パート社員の能力を開発する。中小・零細店舗の大型店対策(事例9回目)」
https://j-net21.smrj.go.jp/special/sells02/201202/article-09.html

職務と賃金の連動

職務のうち、C-Ⅰ等級を従来のパートの時給の基準にして、この職務等級基準と賃金を連動させ、A-Iを入社3年目の社員(25歳)の月収と同額に設定しました。

ただ、セルフレジが急速に普及しつつある現在では、パートが担う職務の変化に応じて、この設定が見直されている可能性もあります。

社員への登用制度も整えました。B-III以上の職能と部門長の推薦、社長の面接が条件です。

では、こうした取り組みによって、パートの給与総額はどの程度、増加したのでしょうか。

実は、パートが活躍する場が拡がり、その分、社員の時間外手当が減少したため、人件費の増額は僅かな金額に留まったということです。

評価制度

評価制度を策定するのは大変でした。

できるだけ客観的かつ公平に評価しようとしても、なかなか理想通りにはいきません。
パートの評価基準は売上や利益予算などではなく、定性的なものが中心だったからです。
また、評価者の店長や部門長も十分な評価研修を受けたわけではなく、当初は正しく評価できたか疑問でした。

そこで、職務等級基準書に盛り込んだ「期待通り」とはどの程度の達成度か、できるだけ明確になるように、改良を加えていきました。

たとえば、商品作りでは、売れる商品をきれいに作ることだけでなく、高い鮮度を維持するために、顧客が来店する時間帯のピークに合わせることも大切です。
そこで、所定の時間内に指示された数量を作ることができているかという商品化の速度も、基準に加えました。

声だしなどの「にぎわいの演出」や「にこやかで明るい態度」など、特に数値化が難しい定性的な項目は、パートや社員による投票を参考にしました。
また、最も元気に挨拶し、声だしをしていたパートを毎月2~3名、投票で選出し、表彰する制度も作りました。

最終的な評価は店長が行いますが、投票結果を参考にすることで、基準に具体性を持たせることができたということです。

取り組みの成果

こうした仕組みづくりで得られたのは以下のような効果でした。

  • パート社員の定着率が高まり、採用コストが削減できた。
  • パート社員の欠勤率が減少した。
  • パート社員の発言や提案が多くなった。
  • POPづくりなどの研修に積極的なパート社員がふえた。
  • パート社員の応募数が多くなった。
  • 社員の意識改革にもつながった。

出所)独立行政法人中小企業基盤整備機構のJ-Net21「売上アップ取り組み事例集>パート社員の能力を開発する。中小・零細店舗の大型店対策(事例9回目)」
https://j-net21.smrj.go.jp/special/sells02/201202/article-09.html

人は尊重され評価されれば、それが従業員エンゲージメントやモチベーション向上につながります。
上のような成果は、そのことを如実に表しているのではないでしょうか。

厚生労働省の発表によると、2024年4月のパートタイム労働者比率は30.48%、実に労働者の3分の1弱を占めています。
出所)厚生労働省「毎月勤労統計調査 令和6年4月分結果確報」(2024年6月24日)p.11
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/monthly/r06/2404r/dl/pdf2404r.pdf

しかし、社員とは異なる処遇を受けているパートは珍しくないでしょう。
パートの職務を明確にして評価基準を定め、職務・評価と賃金を連動させる取り組みは、会社に貢献しているパートを尊重する方法の1つです。

そして、そのように、人の営みとしての本質を大切にすることが、結局は売り上げアップをはじめとして、企業側にも多くのメリットをもたらす―ご紹介した事例は、そのことを示唆しているのではないでしょうか。

そこで脳裏に浮かぶのが、渋沢栄一の理念です。

「道徳経済合一説」

渋沢栄一は、約500の会社に関わり、同時に約600の社会公共事業にも尽力するという、破格の実業家でした。
その渋沢栄一が唱えた「道徳経済合一説」とはどのようなものでしょうか。

道徳と経済は表裏一体

私たちには、道徳と経済は本来矛盾するものだと考える傾向があります。
儲けにばかり走ると道徳を破り、道徳ばかり重んじていると儲からなくなってしまう。それで、道徳と経済はほどほどにバランスさせればいいと考えがちではないでしょうか。

しかし渋沢は、道徳と経済とは別個のものではなく、本質的に一致するものだと考えていました。この2つはいわば表裏一体で、切り離せるものではないというのです。

ただ、道徳と経済が本質的に一致するといっても、自ずと一致するというような甘いものではありません。
この2つを一致させるために、十分な覚悟をもって主体的に取り組み、努力しなければならないと渋沢は説いています。
出所)田中一弘「報告:渋沢栄一の道徳経済合一説」企業家研究フォーラム『企業家研究〈第12号)』(2015年12月20日)p.35, pp.39-40
https://kigyoka-forum.jp/wp-content/uploads/2022/04/JES12_05_Tanaka.pdf

私利私欲を排す

こうした信念をもつ渋沢栄一は、私利私欲を嫌いました。
渋沢は著書『論語と算盤』で、以下のように述べています。

およそ人として、その生き方の本筋を忘れ、まっとうでない行いで私利私欲を満たそうとしたり、権勢に媚びへつらって自分が出世しようとするのは、人の踏むべき道を無視したものでしかない。それでは、権勢や地位を長く維持できるわけでもないのだ。

 もし社会で身を立てようと志すなら、どんな職業においても、身分など気にせずに、最後まで自力を貫いて、人としての道から少しも背かないように気持ちを集中させることだ。そのうえで、自分が豊かになって力を蓄えるための知恵を駆使していくのが、本当の人間の意義ある生活、価値ある生活といえるだろう。

出所)渋沢栄一(守屋淳・訳)『現代語訳 論語と算盤』(ちくま書房・電子書籍版)(2014年)p.128

渋沢は、あくまで国を豊かにし、人々を幸せにすることを目的として、事業育成を行っていました。

彼がその設立のために中心的な役割を果たした組織の中には、日本鉄道(現在のJR)や第一国立銀行(日本最古の銀行)、東京商法会議所(現在の日本商工会議所)、東京株式取引所(現在の東京証券取引所)など、現代社会に欠かせないものが数多くあります。

企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国や人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない―渋沢が生涯を通して貫いた価値観です。

出所)公益財団法人 渋沢栄一記念財団「渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図」(2019年3月29日版/2024年6月27日改訂)
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/

出所)公益財団法人 渋沢栄一記念財団「史料館だより>35 渋沢栄一生誕170年を迎えて」(2010年1月)
https://www.shibusawa.or.jp/museum/newsletter/320.html

おわりに

道徳を基盤とした事業活動を実践すること、従業員や顧客、取引先など、すべてのステークホルダーに対して誠実であること、社会に貢献すること、それが人々の信頼を得、安定した経営につながる―新一万円札の肖像は、大切なメッセージを発信しているのではないでしょうか。

筆者プロフィール
<横内美保子>
博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。
高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。
パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。
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